2017年8月1日火曜日

西伊豆町中国人殉難者慰霊の集いに参加して

平成29年度第42回西伊豆町中国人殉難者慰霊の集いが、先月9日(日)午前11時より西伊豆町大沢里白川の中国人殉難者慰霊碑前で行われ、沼津日中友好協会の会長として14名の方々と参加致しました。
会場では慰霊の辞を、星野淨晋西伊豆町長、栗原績静岡県日中友好協議会理事長、川口幸男裾野市日中友好協会長が述べ、その後、読経のなか大勢の参列者の焼香が続き、主催者である平馬栄白川町内会長の挨拶をもって閉会となりました。
太平洋戦争末期に西伊豆町へ強制連行され、過酷な労働条件の下で命を落とした中国人の霊を慰める集いです。
昭和19年、鉱山でミョウバン石を採取するため、中国人178人が強制連行され、そのうち重労働と劣悪な食糧事情とにより82人が死亡した。このことから、昭和51年に戦争への反省と日中友好の誓いを願い慰霊碑が建立されました。
以下、碑文を紹介し、戦争への反省と恒久の平和を念願し日中友好を誓うものであります。
  碑  文
太平洋戦争末期、多数の中国人が強制的に連行されわが国の鉱山、土建、荷役等の労働に従事させられた。その一部178名が当時仁科村(現西伊豆町)にあった戦線工業に就労したが当時の極度に悪かった食糧事情と強制労働のため、このうち82名が現地において死亡した。
これらの遺体は、1954年殉難者慰霊実行委員会により手厚く葬儀が行われた後遺骨は本国へ送還された。このたび有志の発起により、母国の開放を見ずに他界された殉難者の霊を慰めると共に、このような悲惨な犠牲をもたらした戦争への反省と、子々孫々に至るまでの日中友好の誓いを固めるため、ゆかりの深いこの地に、中国人殉難者の慰霊碑を建立した次第である。
 1976年4月



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