2014年4月30日水曜日

管内視察報告:御用邸記念公園 築山(本字千本)          興国寺城跡 あしたか学園

4月23日(水)市内4か所の視察に行って参りました。

<沼津御用邸記念公園> 沼津市下香貫桃郷2802-1

明治26年、当時皇太子であった大正天皇のご静養のために造営された沼津御用邸は昭和44年に廃止され、翌年から本市により「沼津御用邸記念公園」として親しまれており、本邸跡、東西の付属邸からなります。

 今回の視察は、平成25年4月より株式会社呉竹荘・沼津リバーサイドホテルにより管理運営がなされていることから 、その状況を視察したものです。
 
平日にも拘ら入園者も多くあり、食事処の整備も進んでおり、現在実施中の駐車場無料化もあって、今後に入園者の増大が期待できるものと思います。

   
 中央に菊の御紋をあしらったカレーライス


<築山> 沼津市本字千本地内(中部浄化プラント用地)

築山予定地
沿岸部の公園や事業所に人工的に土砂などを小高く盛ってつくる「築山(つきやま)」が東日本大震災以降、津波からの避難場所として注目を集めています。被災地で避難した人たちを救った事例もあり、非常時以外は見晴らし台や子供の遊び場に活用できるメリットもあります。

 本市の整備工事の概要は、以下の通りです。工期:平成26年夏~27年3月、工事費:6,200万円、面積:7,200㎡(既存松林を含む)、構造:盛土約12,000㎥、高さ:海抜15m(盛土高9m)、法面:芝生(勾配1:2)、照明設備、城石を用いたベンチ・オブジェ等です。

<興国寺城跡>沼津市根古屋字赤池126-3ほか

 興国寺城は、富士山南東にそびえる愛鷹山南麓の舌状に張り出した尾根を利用して築城された平城で、北条五代の祖、伊勢宗瑞(北条早雲)の旗揚げの城として広く知られるところです。南麓には当時の主要街道であった「根方街道」がめぐり、この城はこれを抑える役割を果たしていました。城郭は三方を浮島沼で囲まれた天然の要害に、自然地形を巧みに利用して築城されています。

 過去の発掘調査の成果は以下の通りで、少なくとも4時期にわたる変遷が確認されています。
土塁の一部
・早雲・今川段階の遺構:完成品も含め三の丸に集中 
・武田段階のすり鉢が堀底から出土した三日月堀 
・幅の狭い薬研堀から幅の広い箱堀への改修
・石組水路を伴う本丸虎口、石組暗渠水路などを伴う三の丸外郭

 平成15年度から続く発掘調査によって武田段階の遺構が確認されるなど成果は上がっているが、最終的には、戦国期の最前線の城としての興国寺城をどのように史跡整備に活かすかが課題であり、沼津の宝として活かす方策についても議論したいものです。

<沼津市立あしたか学園> 沼津市東原164-1

園長先生・職員とともに
主に知的障害のある児童に対して、その発達段階に応じた処遇を通じ、社会的自立を目指し、必要な援助を行うことを目的とした児童福祉法第42条に基づく福祉型障害児入所施設で、定員は50人。施設の沿革は昭和40年に西椎路で事業開始、その後、改称、統合して平成5年に現在地で事業開始、平成20年4月から指定管理者である社会福祉法人「輝望会」により運営されています。

 視察のなかで、児童が活動の場として、より充実した生活がおくれるような支援を行い、児童の意思を尊重し、一人ひとりが主体的に取り組めるよな個別の支援を行っていくとする目標に向かって、職員の献身的な働きと児童の笑顔が印象的でした。
このうえは福祉政策の更なる拡充に尽力する所存です。


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